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拓麻呂です。
令和の時代へと突入した現在、皇室典範によると女性が天皇になることが出来ません。
ただ、勘違いしてはならないのは、かつての過去に女性で天皇になられた方たちがいたということです。
この事実を意外と知らない方もいらっしゃるので、歴代の女性天皇の一覧と、簡単な略歴をまとめておきたいと思います。
なお、本記事の最後でもお伝えしますが、『女性天皇』と『女系天皇』の違いが分からない方、あるいは『女性が天皇になれないのは差別だ』と感じている方は、女性天皇や女性宮家を容認するかどうかという議論のスタートラインに立てていませんので、まずはコチラをお読みいただくことをオススメします。
歴代の女性天皇一覧
日本の歴史上には、全部で8名の女性天皇が存在しています。
- 推古天皇
- 皇極天皇(斉明天皇)
- 持統天皇
- 元明天皇
- 元正天皇
- 孝謙天皇(称徳天皇)
- 明正天皇
- 後桜町天皇
この内、皇極天皇は後に斉明天皇、孝謙天皇は後に称徳天皇というように、2度天皇になっています。
これを『重祚(ちょうそ)』と言います。
なので、全部で8名(八方十代)の女帝がいたのです。
第33代 推古天皇(すいこてんのう)
【生年】554年
【没年】628年
【在位期間】593年~628年
【父親】欽明天皇(きんめいてんのう)
【配偶者】敏達天皇(びだつてんのう)
【略歴】
日本史上初の女性天皇。聖徳太子と同時代の天皇としても有名。
現存している日本最古の歴史書『古事記』の最後を飾る天皇でもある。
聖徳太子や蘇我馬子らとともに、大陸に負けない古代日本国家の礎を築いた。
第35代 皇極天皇(こうぎょくてんのう)
【生年】594年
【没年】661年
【在位期間】642年~645年
【父親】茅渟王(ちぬのおおきみ)
【配偶者】舒明天皇(じょめいてんのう)
【略歴】
大化の改新で有名な中大兄皇子(後の天智天皇)と、壬申の乱で勝利した大海人皇子(後の天武天皇)の母親。
父親の茅渟王は敏達天皇の血を引く男系男子で、皇極天皇は敏達天皇から見て曽孫にあたる。
後に重祚して斉明天皇となる。
改新の詔が発布された時、いわゆる乙巳の変~大化の改新が起こったのは、皇極天皇の御代である。
第37代 斉明天皇(さいめいてんのう)
第35第 皇極天皇が重祚して、斉明天皇となる。
【在位期間】655年~661年
第41代 持統天皇(じとうてんのう)
【生年】大化元年(645年)※西暦645年に日本で初めての元号『大化』が制定される。
【没年】大宝2年(703年)
【在位期間】690年~697年 ※この期間は元号が使われていない。
【父親】天智天皇(てんじてんのう)
【配偶者】天武天皇(てんむてんのう)
【略歴】
父親は大化の改新で有名な中大兄皇子(後の天智天皇)。
夫は壬申の乱で勝利した大海人皇子(後の天武天皇)。
夫の天武天皇とともに、古代日本における最高の権威を発揮した天皇である。
史上初めて火葬されてた天皇としても知られている。
第43代 元明天皇(げんめいてんのう)
【生年】661年 ※この年は元号が使われていない。
【没年】養老5年(721年)
【在位期間】慶雲4年(707年)~和銅8年(715年)
【父親】天智天皇(てんじてんのう)
【配偶者】草壁皇子(くさかべのみこ)
【略歴】
父親は大化の改新で有名な中大兄皇子(後の天智天皇)。
夫の草壁皇子は、天武天皇と持統天皇夫妻の息子。
平城京に遷都した時の天皇でもある。
天武天皇の意向により編纂が始まった『古事記』が完成したのも、元明天皇の御代である。
第44代 元正天皇(げんしょうてんのう)
【生年】680年 ※この年は元号が使われていない。
【没年】天平20年(748年)
【在位期間】霊亀元年(715年)~養老8年(724年)
【父親】草壁皇子(くさかべのみこ)
【配偶者】なし
【略歴】
生涯独身を貫いた史上初めての女帝。
父の草壁皇子は天武天皇の息子、つまり元正天皇は、天武天皇と持統天皇夫妻の孫娘にあたる。
母親は女帝の第43代 元明天皇。
日本書紀の完成、長屋王の変などが起こったのは、元正天皇の御代である。
第46代 孝謙天皇(こうけんてんのう)
【生年】養老2年(718年)
【没年】神護景雲(770年)
【在位期間】天平勝宝元年(749年)~天平宝字2年(758年)
【父親】聖武天皇(しょうむてんのう)
【配偶者】なし ※弓削道鏡と恋仲であったと伝わる。
【略歴】
奈良の大仏(東大寺盧舎那仏像)を建立したことで有名な聖武天皇の娘。
恵美押勝の乱(藤原仲麻呂の乱)が起こったのは、孝謙天皇の御代。
皇族ではない僧侶『弓削道鏡(ゆげのどうきょう)』を寵愛し、皇位を継がせようとしたと言われている。
しかし、和気清麻呂の機転により回避され、皇統が保たれた。
この出来事を『道鏡事件』と言い、これが事実であるとするならば、日本の皇室史上、万世一系の皇統が最も危ぶまれた事件である。
第48代 称徳天皇(しょうとくてんのう)
第36第 孝謙天皇が重祚して、称徳天皇となる。
【在位期間】天平宝字8年(764年)~神護景雲4年(770年)
第109代 明正天皇(めいしょうてんのう)
【生年】元和9年(1624年)
【没年】元禄9年(1696年)
【在位期間】寛永6年(1629年)~寛永20年(1643年)
【父親】後水尾天皇(ごみすのおてんのう)
【配偶者】なし
【略歴】
奈良時代の孝謙天皇(称徳天皇)以来の女帝。
令和の段階で、日本史上で女帝が誕生したのは、飛鳥時代、奈良時代、江戸時代に限定されている。
母親が徳川家康の孫なので、徳川将軍家の血も引いている。
手芸を愛好していたと伝わる。
第117代 後桜町天皇(ごさくらまちてんのう)
【生年】元文5年(1740年)
【没年】文化10年(1813年)
【在位期間】宝暦12年(1762年)~明和7年(1770年)
【父親】桜町天皇(さくらまちてんのう)
【配偶者】なし
【略歴】
令和の段階で、日本史上最後の女性天皇。
後桜町天皇以降、現在までの約250年間で、女性が天皇になった例はありません。
女性天皇の意義
以上、日本史上の女性天皇を見てきました。
現在の皇室典範では女性が天皇になることは出来ませんが、日本の歴史上では先例のあることなのです。
現在、女性天皇を容認するかどうかで世論が割れています。
個人的な見解を言ってしまうと、女性皇族の方が天皇になっても良いと考えています。
しかし、本来議論せねばならないのは、女性天皇を認めるかどうかではなく、女帝が誕生した場合の次の天皇はどうするのか?だということをご存じでしょうか?
女性天皇容認を叫ぶメディアや、一部の人たちは、そのことには触れていません。
これは、昨今叫ばれている男女平等の思想を盾にした議論のすり替えです。
基本的には、天皇の後継者たつ男系男子が幼少であったりした場合に、男系女子の皇族が天皇に即位してきました。
この『男系男子』『男系女子』という概念が、とても重要になってきます。
これは基本中の基本なので、まだご存じない方はぜひコチラの記事もご覧になってください。
女性蔑視の観点から女性天皇容認を主張するのが、いかに的外れなことであるかがお分かりいただけると思います。
日本の皇統は『男系』(もしくは双系)で紡がれ続け、世界最古の歴史を持つ日本という国が存在しているのです。
では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。