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拓麻呂です。
2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』。
主人公は本能寺の変を起こした戦国武将 明智光秀。
ドラマを観ていると、やはりゆかりの場所などには行ってみたくなるものです。
そこで、明智光秀とその妻 煕子(ひろこ)のお墓の場所など、二人に縁の深い場所7選をご紹介したいと思います。
光秀と煕子ゆかりの地7選
1.光秀と煕子が眠る『西教寺』
明智家の菩提寺として名高い『西教寺』。
ここには、明智光秀と妻 煕子のお墓があります。
その他にも明智一族のお墓もあります。
光秀の居城 坂本城の近くにあり、仲睦まじかった光秀と煕子が、ひっそりと眠っています。
【西教寺:滋賀県大津市坂本5丁目13-1】
2.光秀終焉の地『明智藪』
本能寺の変後、山崎の戦いで敗れた光秀は敗走中に落ち武者狩りに襲われ、自害したと伝わっています。
その光秀終焉の地が小栗栖。
明智藪の約1.5km北の場所には、光秀の胴塚と伝わる場所が残っています。
【明智藪:京都府京都市伏見区小栗栖小阪町 本教寺寺領】
【明智光秀胴塚:京都府京都市山科区勧修寺御所内町36】
3.山崎の戦いの趨勢を決めた『洞ヶ峠』
本能寺の変後に、羽柴秀吉と戦った『山崎の戦い』。
光秀は盟友であった筒井順慶という武将に援軍を要請しますが、順慶は洞ヶ峠まで軍を進めるも日和見を決め込みました。
順慶たちを味方に付けられなかった光秀は、山崎の戦いで敗北。
この時の順慶の行動は『洞ヶ峠の日和見』として、後世に伝わっています。
【筒井順慶陣所跡:京都府八幡市八幡】
4.光秀が有名な句を詠んだ『愛宕神社』
ときは今 あめが下知る 五月かな
本能寺の変を決意した時に、光秀が詠んだと伝わる一句です。
この句を詠んだ場所が、標高924mの愛宕山山頂にある『愛宕神社』です。
【愛宕神社:京都府京都市右京区嵯峨愛宕町1】
5.光秀の居城『坂本城址』
比叡山延暦寺の焼き討ちの後、琵琶湖の湖畔に信長から賜った地に築いた城。
それが、光秀の居城として名高い『坂本城』です。
光秀自害の後、羽柴秀吉に攻められ落城。
まさに光秀とともに苦楽をともにした城でした。
【坂本城址公園:滋賀県大津市下阪本3丁目1】
6.煕子が光秀を助けた逸話が残る『称念寺』
光秀の妻 煕子(ひろこ)。
光秀と煕子はオシドリ夫婦として名高く、数々の美談が残っています。
その中に、煕子が自らの髪の毛を売って、お金に困った光秀を助けたというエピソードがあります。
このエピソードの現場が『称念寺』です。
【称念寺:福井県坂井市丸岡町長崎19−17】
7.光秀生誕の城と伝わる『明智城址』
明智家の歴代当主が城主を務めてきた城。
謎に包まれた光秀の生誕地として、最も有力視されている場所です。
本能寺の変へと繋がる光秀の激動の人生は、ここからスタートしたのです。
【明智城址:岐阜県可児市瀬田1238−3】
まとめ
以上、明智光秀と妻 煕子ゆかりの地7選でした。
明智光秀と煕子の足跡が色濃く残る場所の数々。
大河ドラマ『麒麟がくる』を、より楽しみ余韻に浸るため、ぜひ光秀たちの息吹を感じてみてください。
他にも、明智光秀の性格や人物像、本能寺の変についてなどの記事を扱っています。
ここを見れば『明智光秀』と、その妻『妻木煕子』のすべてが分かる!
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では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。