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『清少納言に恋した男』拓麻呂でございます。
清少納言が書き残した枕草子 九九段『五月の御精進のほど』。
ホトトギスの声を聴きに行き、その風情を和歌に詠むはずが・・・
そして、和歌を詠まずに帰ってきた清少納言に、定子様はご立腹。
結局、和歌が詠めないまま、一日が過ぎていきました。
それから二日後、和歌を詠めなかったことをぶり返さて、またひと悶着。
今回はそんな『五月の御精進のほど』、最後のエピソードです。
歌詠みの家系に生まれたプレッシャー
食い意地張った清少納言の和歌
とにかく和歌に縁がなかった一日、それから二日が経ったある日・・・『宰相の君(さいしょうのきみ)』と呼ばれる先輩女房が話をぶり返してきました。
『ところで、あの時食べた下蕨(したわらび)の味はいかがでしたか?』
これは、ホトトギスを聴きに行った時、「明順(あきのぶ)の家」で出された蕨料理です。
この会話を傍らで聞いていた中宮定子様。
『あなたたちは、食べ物のことばかり思い出すのですね』
と言って笑いながら、その辺にあった紙に、
下蕨こそ 恋しかりけれ
と書いた紙を寄こしてきました。これは、和歌の下の句です。
定子様は『これに上の句を付けてみなさい』と仰る。
そこで清少納言は、
ほととぎす 訪ねて聞きし 声よりも
と、書いて定子様に渡しました。
繋げるとこうなります。
ほととぎす 訪ねて聞きし 声よりも
下蕨こそ 恋しかりけれ
つまり、ホトトギスの声を聴きに行ったけれど、そこで食べた蕨料理のおいしさが忘れられない、と言うような意味です。
この食い意地の張った和歌に、定子様は思わず吹き出します。
『少納言、やっぱりあなたは、いつも食べ物の事ばかり考えているんですねw』
和歌に対する苦手意識
食い意地張った和歌を詠んで定子様に笑われてしまった清少納言。
枕草子ではこの後に、清少納言の和歌に対する思いが綴られているのですが、これが実に興味い内容となっています。
ここで少し解説。
清少納言の父は『清原元輔(きよはらのもとすけ)』。世に聞こえる和歌の達人です。そして、彼女の曾祖父『清原深養父(きよはらのふかやぶ)』。この人も元輔同様、和歌の達人。
つまり清少納言は、歌詠みの家系に生まれた娘ということになります。
この歌詠みの血筋が、清少納言にとってはプレッシャーになっており、和歌に対する苦手意識を持っていたことが枕草子から窺えるのです。
この事を念頭に置き、この後の展開を追いかけてみましょう。
和歌を詠まない清少納言
定子様に笑われた清少納言は、答えます。
『私は和歌を二度と読まないと心に誓っているのです。これ以上私に和歌を詠めと仰るのなら、もう中宮様にお仕えする自信がございません』
彼女は、さらに続けます。
『私も和歌の基本は存じております。しかし、世間に聞こえた歌詠みの娘であれば、人一倍優れた和歌を詠むのだろうと期待されます。実際にそうであれば、詠む価値もあると言うものですが、私の和歌は大して優れてもいないので、そんな得意気に詠んでいたら亡き父に申し訳が立ちません・・・・』
このように、清少納言は心の内を吐き出します。
すると定子様は微笑んで、
『少納言、お前がそこまで言うのなら、もう無理強いはいたしません。』
と仰りました。
清少納言は答えます。
『そう言っていただけると安心でございます。今後一切、和歌は詠まないことに致します』
中宮定子の優しさ溢れる和歌
その日の夜。
定子様の兄『藤原伊周(ふじわらのこれちか)』がやってきて、盛大な催しが行われました。
なお藤原伊周は定子様の兄に当たります。
こうなると当然ながら歌会になり、定子様の女房たちも四苦八苦して和歌を考えています。
ところが清少納言は和歌のことなんかそっちのけで、定子様と関係無い事をしゃべっていました。
不審に思った伊周は問いかけます。
『少納言、なんで和歌を詠まずに知らん顔しているのだ?』
清少納言は答えます。
『私は中宮様から和歌を詠まなくて良いとお許しを頂いております』
しかし伊周は、そんなバカな話があるかと和歌を詠むよう迫ってきました。
ところが清少納言は気にすることも無く、相変わらず定子様の側から離れません。
やがて女房たちが和歌を詠み始め、諦めた伊周はその良し悪しを判定し始めました。
その時、清少納言の元に紙切れが飛んできました。どうやら定子様が投げて寄こしたようです。
その紙切れには、一首の和歌がしたためられていました。
元輔が 後と言はるる 君しもや
今宵の歌に はづれてはをる
(名歌人 元輔の娘であるあなたが、今夜の歌会に参加しなくて良いのでしょうか?あなたも皆と一緒に和歌をお詠みなさい)
この和歌に清少納言は大笑い。突然笑い出した清少納言に伊周も『何だ?』と驚きます。
定子様の心遣いに、清少納言は遂に和歌を詠みます。
その人の 後と言はれぬ 身なりせば
今宵の歌を まづぞ詠ままし
(父 元輔の事を気にしなくて良いのなら、私はいくらでも和歌をお詠みいたしましょう)
父を誇りに思う清少納言の本心
こうして、清少納言はついに和歌を詠むことが出来ました。
最後の定子と清少納言のやり取りがちょっと分かりにくいかと思いますので、簡単に解説いたします。※なお、これは僕の解釈であり、別の見方をする方もいらっしゃいます。
結論から言いますと、定子が問いかけの和歌を投げて寄こしたことで、清少納言は返歌せざるを得ない状況になったという事です。
清少納言に楽しく歌会に参加してもらいたいが為に、定子は一計を案じ、返歌を促すような和歌を彼女に贈ったのです。
そして、もうひとつ。
これが重要です。
前述のとおり、清少納言は、偉大な父の名がプレッシャーになり和歌を遠ざけていました。この心理の根底にあるのは、父の名誉を汚したくないという彼女の想い。
ところが、定子様は返歌を要求する和歌を投げて寄こしました。
この和歌に秘められた定子の思いやり、それは『父のことは気にしないで、あなたなりの和歌を詠んでごらんなさい』という優しい心遣い。
つまり、父元輔を誇りに想うが故に、和歌が詠めなかった清少納言。そんな彼女の心理を見事に突いた、定子の思いやり溢れる和歌だったのです。
父を誇りに想う清少納言の心理を突いて、返歌を促す和歌を詠んだ中宮定子。そして、定子の思惑通り、清少納言は父への想いを和歌に詠むこととなりました。
定子の思いやり溢れる策略にしてやられた清少納言。しかし彼女に定子を憎む気持ちは微塵もありません。
むしろ、これまで以上に尊敬の眼差しで、定子様を見つめていました・・・。
参考:枕草子 九九段『五月の御精進のほど』より
明るさ溢れる『五月の御精進のほど』
長編章段の為、三回に分けてお贈りした枕草子 九五段『五月の御精進のほど』。
この章段は、枕草子の明るさが途切れることなく展開する大変面白い内容です。
展開をまとめると・・・
ホトトギスを聴きに行って、和歌を詠もうとする
↓
事あるごとに目移りし、和歌を詠み忘れる
↓
和歌を詠まずに帰ってきて定子の機嫌を損ねる
↓
その後も和歌を詠もうとするがドタバタに巻き込まれる
↓
そのまま、うやむやになり二日後にぶり返される
↓
清少納言の和歌に対するコンプレックスが明かされる
↓
意地を張って和歌を詠まない清少納言
↓
定子の暖かい策略に、ついに和歌を詠んでしまった清少納言
このようになります。
こうやって見てみると、清少納言の思い付きでホトトギスを聴きに行ったエピソードかと思いきや、一貫して『和歌』がテーマの章段であることが分かります。
見事な構成で、単純に物語としても楽しめる章段です。
そして、この章段の特徴はもうひとつ。
最初から最後まで、常に笑顔が溢れているということ。
枕草子に記された風景はいつも明るく、その文面からは清少納言と定子の笑い声が聞こえてきます。
そんな彼女たちの笑い声が、最も良く聞こえてくる章段。それが『五月の御精進のほど』なのです。
底抜けに明るい『五月の御精進のほど』は枕草子の本質が最も現れている章段と言えるでしょう。
なお、今回のエピソードに至る経緯はこちらをご覧ください。
そして、もっと枕草子の世界を覗いてみたい方は、こちらからお好みの記事をご覧ください。
では、今回はこの辺で!
長編章段にお付き合い頂き、ありがとうございました。