枕草子の作者として有名な清少納言。彼女は枕草子だけでなく、いくつかの和歌も残しています。
そんな清少納言が残した和歌の中から、彼女の性格や人柄が伝わってくる印象的なものを、7つ選んでご紹介します。
百人一首に選ばれた有名な和歌以外にも、ぜひ注目してみてください。
①やっぱり強気な清少納言
身を知らず 誰かは人を 恨みまし 契らでつらき 心なりせば
(みをしらず だれかはひとを うらみまし ちぎらでつらき こころなりせば)
【意味】
身に覚えが無いのに、恨み言を言われても・・・、私は文句を言われる筋合いはありません。
【所感】
ちょっと強気な清少納言らしい和歌です。
彼女に好意を寄せていた男性が、しつこく言い寄って来て、清少納言がうんざりしている様子が思い浮かびます。
そんな清少納言の態度を見た男性が、彼女に恨みつらみを言い放ってきたのかもしれません。
枕草子でも、男性貴族に誤解される逸話があるので、清少納言の態度にも問題があたのかもしれませんね。
②男性の浮気に憤る清少納言
濡れ衣と 誓ひしほどに あらはれて あまた重ぬる 袂聞くかな
(ぬれぎぬと ちかいしほどに あらわれて あまたかさぬる たもときくかな)
【意味】
浮気が濡れ衣だと弁明したとたん、事実が表ざたになり、ある女性と何度も夜を共にしていたことがバレましたね。
【所感】
浮気はしていないと必死で弁明するも、本当は浮気していた。
そんな事実を知った時の、内側に燃え上がる怒りを感じます。
怒りを抑えつつも、目が笑っていない彼女が、男性に詰め寄っている風景を想像してしまいます。
清少納言は枕草子の中で、人に想われる時は一番じゃなきゃ嫌だと言っています。
当時は一夫多妻制でしたが、恋愛や夫婦生活においても、やっぱり一番が良かったのかもしれませんね。
③いかにも清少納言らしい和歌
よしさらば つらさは我に 習ひけり 頼めて来ぬは 誰か教えし
(よしさらば つらさはわれに ならいけり たのめてこぬは だれかおしえし)
【意味】
あなたの『つれなさ』は私に学んだものなのですね。ところで会いに来てくださらなかったのは誰の教えなのですか?
【所感】
この和歌は、詠まれた時の逸話が残っているのでご紹介します。
恋人の男性が「明後日、絶対に会いに行きますね!」と言ったのに姿を見せず、そのまま時が経ち不安を感じていたら、その男性から「あなたの『つれなさ』を真似してみました。いかがでしたか?」と言われた。
このやりとりの返歌として、清少納言が詠んだそうです。
この和歌を見る限り、清少納言は軽く見られないようにしていたのか、あるいは元々ガードの堅い女性だったのか?
ともかくも、清少納言がなかなか口説きに応じなかったので、男性がやりかえして来たようですが、さらに返歌で応じるところが、いかにも清少納言らしいですね。
④清少納言の乙女さしら
恋しさに まだ夜を籠めて 出でたれば 尋ねぞ来たる 鞍馬山まで
(こいしさに まだよをこめて いでたれば たずねぞきたる くらまやままで)
【意味】
あなたが恋しすぎて、夜の内に外に出たら、なんとあなたの方から鞍馬山まで会いにきてくれ
たのですね!
【所感】
この和歌は、清少納言の女性らしさが全面にでたものではないでしょうか。
意中の男性に対する想い、そして男性が会いにきてくれた喜びが素直に表現された一首です。
⑤哀愁漂う清少納言の和歌
月見れば 老いぬる身こそ 悲しけれ つひには山の 端に隠れつつ
(つきみれば おいぬるみこそ かなしけれ ついにはやまの はにかくれつつ)
【意味】
月を見ると、歳をとった我が身が悲しく思う。山の端に沈んでいく月のように、いつかは私も隠れ消えていくのだろうか
【所感】
定子が葬られている鳥戸野陵近くに泉涌寺と言うお寺があります。
清少納言の父である清原元輔の山荘があった場所だと言われており、彼女は晩年、泉涌寺近くで生活していたそうです。
定子の御陵で、毎日祈りを捧げつつ、間もなく自分も定子の元へ旅立つことを予期していたのかもしれません。
『春はあけぼの』で始まる枕草子。
山の稜線から昇る太陽に風情を感じた清少納言は、山の端に消えていく月にも風情を感じていたのでしょうか。
春はあけぼのと対照的で、とても印象に残る和歌です。
⑥宮仕えの思い出
風のまに 散る淡雪の はかなくて とこどころに 降るぞわびしき
(かぜのまに ちるあわゆきの はかなくて ところどころに ふるぞわびしき)
【意味】
風に吹かれて散る淡雪のように、(宮仕えしていた頃の仲間たちが)はかなく散り散りなって暮らしている現実、本当に侘しいものだ。
【所感】
清少納言の絶頂期と言えば、やはり定子付きの女房として宮仕えをしていた時でしょう。
その頃に、共に働いていた女房仲間たち。
定子が崩御して間もなく、清少納言は宮廷を辞したと言われています。
枕草子は、定子を中心として清少納言や女房たちの笑い声に包まれている作品です。
月日は流れ、かつての楽しかった宮廷生活を思い出した時、ともに笑いあった仲間たちとの想い出に、ふと懐かしさを感じたのかもしれません。
百人一首にも選ばれた最も有名な和歌
夜こめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
(よをこめて とりのそらねは はかるとも よにおうさかの せきはゆるさじ )
百人一首にも選出された、清少納言の中で最も有名な和歌です。
この和歌に関しては、コチラの記事でガッツリ解説していますで、ぜひご覧になってみてください。
清少納言の和歌7選まとめ
以上、清少納言の和歌の中から、個人的に印象深いものを紹介させていただきました。
同時代の歌人たちの中でも、清少納言が詠んだ和歌は、数が少ないとされています。この理由は、清少納言自身が和歌に対してコンプレックスを抱いていたことが理由です。
清少納言の父『清原元輔』、曾祖父『清原深養父(ふかやぶ)』は、ともに和歌の達人でした。
そんな父や曾祖父の名を汚したくないという想いから、和歌を詠むことに抵抗があったと枕草子の中で吐露しています。
決して多くは無い清少納言の和歌ですが、今回ご紹介した以外にも印象深いものがたくさんあります。清少納言の和歌にもっと触れてみたいと言う方は、ぜひコチラの書籍を手に取って見て下さい。
清少納言の意外な一面が見えて来て、彼女の魅力に気付くことができますよ。
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