枕草子を読んでいると『中宮定子』という女性がたびたび登場します。そして、清少納言は定子のことを褒めちぎっています。また、定子も清少納言の存在をとても大切に想っていました。
このような関係から、清少納言と定子は同性愛者ではなかったのかという妄想も存在しています。でも、実際のところはどうだったのか?この記事では、清少納言と定子の関係性についてお伝えしていきます。
清少納言と藤原定子の基本情報と年齢差
清少納言を語る上で、絶対に避けて通れない『藤原定子(ふじわらのていし)』に関して簡単に解説しておきます。『中宮』とは天皇のお后様のころで、当時の天皇である『一条天皇』に嫁いだので、中宮定子(ちゅうぐうていし)と呼ばれます。(後に『皇后』となる)
そして、定子に女房として仕えていたのが清少納言です。つまり定子と清少納言は主従関係なわけです。ちなみに、清少納言が定子に仕えるため宮廷出仕を始めたのが正暦4年(993年)頃と言われています。諸説ありますが、清少納言は康保3年(966年)頃の生まれとされています。
つまり、清少納言が定子に仕えたのは20代後半。この時の定子の年齢はというと17歳くらいです。定子の生まれた年は貞元2年(977年)なので、清少納言が康保3年(966年)の生まれだとすれば、二人の年齢差は10歳ちょっと。
現代の感覚ですと20代後半の女性は「お姉さん」ですが、当時の感覚ではおばさんに差し掛かった年齢というか・・、現代の感覚では40歳くらいかと思われます。枕草子の中で清少納言が自身のことを『年増』と言っているので、当時の20代後半~30代前半はすでにおばさんだったのです。
そして、定子の17歳は当時の感覚だと美しさ盛りの年齢で、現代だと20代前半から半ばくらいの感覚です。つまり、清少納言は10歳近く年下の麗しいお姫様に仕えていたのです。
定子の境遇
枕草子を読むと、清少納言が定子を慕っていたこと、定子も清少納言を信頼していたことがよくわかります。二人は強い絆で結ばれた主従関係でした。
ですが、ひとつ注意したいことがあって、枕草子とは実は『定子が没落していく中で書かれた作品』なのです。
簡単に言うと、定子と清少納言は、藤原道長の権力欲によって引き起こされた政争の犠牲者であるということです。定子は藤原道長の権力欲によって、宮廷での居場所を失っていきました。さらに、清少納言は道長への内通を疑われ、周囲から白い目で見られるようになっていました。
苦しい状況に追い込まれた定子と清少納言、このような中で書き始めたのが枕草子でした。
笑いに包まれる枕草子
政争に巻き込まれ没落していく定子。一見、悲しみに暮れているかと思いきや、枕草子に描かれる姿は全くの真逆。むしろ、笑顔を絶やさず、時として清少納言たちの主として凛とした態度を示す気高さを失っていませんでした。
定子の後宮は、もともと煌びやかな明るい雰囲気であったことは枕草子が記す通りですが、定子自身が隅に追いやられた後も、その輝きは失っていませんでした。
その雰囲気を伝える章段が枕草子にはいくつも記されています。
もしかしたら、定子は自分に仕える女房たちを動揺させまいとして、あるいは辛い時だからこそ明るくなろうとして気丈に振る舞っていたのかもしれません。
そして、清少納言は定子の後宮を最も代表する女房です。
そんな凛とした定子の姿を最も近くで見ていた清少納言は、自然と定子を信頼するようになっていったでしょうし、定子も清少納言の真っ直ぐな忠誠心を受け止めていたと思われます。
これは想像ですが、二人の間には恋愛感情にも勝る信頼関係があったように感じます。枕草子を詠む限り、清少納言の定子の慕いっぷりは尋常ではありません。
この二人の信頼関係は辛い立場にあっても崩れることなく、絶望を笑顔に変えて枕草子に綴られています。きっと、そこには没落していく中で若くして亡くなってしまった定子への想いが込められているのは間違いないと思っています。
枕草子が後世に伝えたもの
清少納言と定子は歴史的に見れば敗者です。勝者は藤原道長であり、その娘の彰子であり、彰子に仕えた紫式部です。
歴史とは勝者がつくるものだと言われます。もし枕草子が無かったら、清少納言はもちろんのこと、定子とその一族は日の目を見なかったかもしれませんし、下手をすれば、悪者になっていたかもしれません。
もしかしたら、清少納言は定子が築いた煌びやかな歴史を、枕草子を通じて後世に伝えようとしていたのかもしれません。自分が心から慕っていた定子を、歴史の闇に葬らせまいとして、明るい定子後宮を伝えようとしていたのではないでしょうか。定子が築き上げた煌びやかな宮廷文化の歴史が、誤って伝わらないように。
もしかしたらこれは拡大解釈なのかもしれません。しかし、清少納言が枕草子を残したことで、定子の華やかな文化サロンが後世に伝わっているのは事実です。
歴史的には敗者であった清少納言と定子が、最後の最後で藤原道長に一矢報いることに成功した作品。それが『枕草子』といえるのではないでしょうか。
そんな枕草子が書かれた背景にこそ、定子と清少納言の主従を越えた信頼関係があり、二人が後世に伝えた平安時代の煌びやかな宮廷文化があったのです。
清少納言と定子の関係まとめ
以上、清少納言と定子の関係でした。
恋愛感情があったかは不明ですが、二人の間には主従の関係を超えた何かがあったことは間違いありません。そして、その信頼関係が作り上げた作品こそ『枕草子』であると考えています。
枕草子が伝える定子の煌びやかな文化サロン。それが後世にしっかり伝わったことを、清少納言と定子は天国で喜んでいるのでいるかもしれませんね。
清少納言と定子が残した枕草子に関してもっと知りたい方はコチラもご覧になってみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
【参考にした主な書籍】