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拓麻呂です。
戦国武将『明智光秀』。
日本の歴史を大きく変えた明智光秀を、3つのステップで簡単解説します。
小学生から中学生のお子さん向けに書いていますので、戦国時代に興味を持ち始めたばかりの大人の方でも分かりやすい内容になっています。
3ステップでわかる戦国武将『明智光秀』編
ステップ① 奥さんを愛した明智光秀
戦国時代は今と違って、奥さんが何人もいるのが普通でした。
戦国武将は、複数の女性と結婚することが出来たのです。
戦国時代は、よく戦いが起こっていて、さらに今ほど病気が治せなかったので、人が亡くなることが多かったのです。
なので、より多くの子供を授かるために、奥さんが何人もいたのです。
ところが、明智光秀には奥さんが一人しかいませんでした。
その奥さんの名前は『煕子(ひろこ)』と言います。
ちょっと難しい漢字ですが『ひろこ』と読みます。
光秀は煕子(ひろこ)さんをずっと愛していて、彼女以外の女性を奥さんにすることはなかったと言われています。
また、煕子(ひろこ)さんも光秀のことを、とても信頼していました。
光秀と煕子(ひろこ)さんは、とても仲の良い夫婦だったのです。
ステップ② 織田信長と明智光秀
明智光秀は『織田信長(おだ のぶなが)』の部下として働いていました。
信長にとって光秀は頼れる部下でした。
また、光秀も信長の命令を守りながら活躍しました。
光秀の頑張りもあって、信長の支配する地域はどんどん広がりました。
そして、もうすぐ日本全国を制覇するというところで、光秀は信長を裏切りました。
この裏切りを『本能寺の変(ほんのうじのへん)』と言います。
信長の考えと光秀の考えがズレ始め、光秀は信長に恨みを抱くようになったことが原因だと考えられています。
しかし、光秀が裏切った原因はハッキリしておらず、信長が光秀をひどくイジメていたためとも言われています。
また、光秀が黒幕に操られていたとも言われています。
ステップ③ 本能寺の変とその後の明智光秀
光秀が信長を裏切った『本能寺の変』。
この事件によって信長は亡くなり、世間を大きく騒がせました。
本能寺の変が起こった時、光秀の同僚『羽柴秀吉(はしば ひでよし)』は別の場所で戦っていました。
しかし、信長が亡くなったことを知ると、かたき討ちの為に、光秀のいた京都へ戻ってきました。
光秀は秀吉を迎え撃ちます。
この光秀と秀吉の戦いを『山崎の戦い(やまざきのたたかい)』と言います。
しかし、裏切り者の光秀に味方してくれる武将はほとんどいませんでした。
多くの武将が秀吉に味方してしまい、光秀は戦いに敗れました。
なんとか戦場を脱した光秀でしたか、逃亡中に小栗栖(おぐるす)をいう場所で、落ち武者狩りに襲われて大きな傷を負いました。
もはや助からないことを悟った光秀は自害。
本能寺の変からわずか11日後のことでした。
あああ
明智光秀は多くの謎に包まれた武将です。
本能寺の変を起こした動機もハッキリしていませんし、生まれた場所や幼いころ暮らしていた場所も分からないことだらけです。
山崎の戦いで秀吉に負け、敗走中に亡くなったとされていますが、一方で生き延びていたとも言われており、その最期にすら諸説ある状態です。
本能寺の変で織田信長を倒したので、とても有名な武将ではありますが、その人生はたくさんの謎に包まれているのです。
また、仕事には厳しい一面もありましたが、奥さんを愛したエピソードや、多くの民衆に慕われていたという話も残っており、とても優しい人柄であったことが想像できます。
ただ、本能寺の変により、歴史の流れを大きくかえたことは間違いなく、日本の歴史上とても重要な人物です。
さらに深く明智光秀を知りたい方は、ぜひコチラもご覧になってみてください。
では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。