春先の行事として馴染み深い「お花見」。
満開の桜の元で飲んだり食べたりと、楽しい時間を過ごしたことのある方も多いのではないでしょうか?
ところで、なぜ日本には花見をする文化があるのでしょうか?
桜を愛でるのは日本人だけとも言われており、その起源は日本神話の時代にまで遡るのです。
花見の起源や由来を見ていくことにしましょう。
花見の起源
花見がいつ頃ころから始まったのかはハッキリしていませんが、奈良時代頃に始まったのではないかと見られています。
ただし、当時は桜ではなく梅を観て楽しむのが一般的だったようで、奈良時代に完成した万葉集には梅に関する和歌が119首(桜は43首)も詠まれています。
梅から桜に切り替わっていったのは平安時代の初めの頃とされ、第52代嵯峨天皇が催した「花宴の節(かえんのせち)」が、日本における桜の花見の最初と記録となっています。
平安時代も中期になってくると桜の花見が主流になっていたようで、当時の文学作品にも度々登場しています。
清少納言の枕草子には、貴族たちのイベントの際に桜の造花が飾られていたり、花が咲いた桜の枝を瓶に活けて風流を感じているシーンがあります。また、紫式部の源氏物語にも「花宴(はなのえん)」というストーリーがあり、その中で桜の宴が催されています。
以上のことから、今から1200年~1300年前くらいには、花見の風習があったと考えられています。
ただし、昔の花見は貴族などの身分の高い人が嗜むもので、一般民衆に花見が浸透していくのは江戸時代になってからだと考えられています。
江戸幕府8代将軍 徳川吉宗が隅田川の土手などに桜を植樹したことで、桜の時期になると庶民たちが集まって弁当を食べながら踊りなどを楽しんでいたと言われ、これが庶民に花見が広まっていた理由だとされています。
日本人が桜に哀愁を感じる理由
このように桜を楽しむ風習は奈良時代~平安時代頃に始まったものと思われます。しかし、日本人特有の桜に対して抱く特別な感情は、もっと昔に淵源があります。
満開の桜に春を感じ、数日で散ってしまうことに儚さや美しさを感じる方も多いと思いますが、この感覚の原点が日本神話に描かれています。
いわゆる『天孫降臨』の神話で地上世界に降りてきた『ニニギノミコト(邇邇芸命)※以下ニニギ(アマテラスの孫にあたる神様)』と、桜の花を象徴する女神『コノハナノサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売)※以下サクヤヒメ』による神話です。
以下、桜にまつわるニニギとサクヤ姫の神話のあらすじを、簡単にご紹介します。
桜のように美しいサクヤ姫に惚れ込んだニニギは、晴れて結婚することになりました。
ニニギとの結婚をたいへん喜んだサクヤ姫の父は、サクヤ姫の姉『イワナガ姫(石長比売)』もニニギへ嫁がせることにしました。
しかし、イワナガ姫は容貌がたいそう醜く、ニニギはイワナガ姫だけを追い返してしまったのです。
姉妹の父は非常に悲しみ、このように言いました。
『イワナガ姫も妻にすれば、ニニギの命は岩のように不変で永遠のものとなっていたのに、サクヤ姫がだけが妻となったので、ニニギの人生は花が満開に咲くように繁栄しますが、その命は花が散るかの如く儚いものになるでしょう・・・』
これがニニギの神話の一部です。
不変の象徴である岩の女神『イワナガ姫』を遠ざけ、可憐だけれとも儚い桜の女神『サクヤ姫』だけを妻にしたため、ニニギにも寿命が設けられてしまったという神話です。(ニニギは神様なので本来は寿命が無かった)
この神話が示すように、桜は儚さの象徴として捉えられていたことが分かりますね。
こういった価値観が、日本には古くから伝承されていたのです。
また日本人は、短い命を散らした人物などにも哀愁を感じる傾向があり、そういった人物は人気者であるケースが多いです。
源頼朝、織田信長、真田幸村、西郷隆盛、坂本龍馬などは、その代表格と言えるでしょう。
こういった若くして無念の最期を遂げた人物を英雄視する傾向は『判官贔屓(ほうがんびいき)』と呼ばれています。
この日本人特有の判官贔屓も、儚く散る花の如く、日本人ならではの感覚から来ているのかもしれませんね。
お花見の由来まとめ
以上、花見の由来や日本人の桜に対する感性をお伝えしました。
・桜の花見が始まったのは平安時代の初め頃
・日本人の桜に美しさや儚さを感じる気持ちは、神話に記されるほど古くからの伝承されてきた日本人の感覚だった
ということになるのでした。
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