枕草子は今からおよそ1000年前に書かれた日本が誇る文学作品です。
そんな枕草子に関して、
- 作者は誰なのか?
- 書かれた時代はいつ頃なのか?
- 執筆のキッカケは何だったのか?
- 執筆していた場所はどこだったのか?
など、枕草子の基本情報をまとめてみましたので、ぜひ参考にしてみてください。
枕草子の基本情報
まずは枕草子の基本情報を表にまとめましたのでご覧ください。
上記の表の無いように関して、それぞれわかりやすく解説していきます。
枕草子を書いた人は誰?
枕草子の作者は『清少納言』という女性です。読み方は『せい しょうなごん』です。
語呂的に『せいしょう』と『なごん』で区切るような感じがしますが、正しくは『せい』と『しょうなごん』です。
この『清少納言』という名前は、彼女の本名ではなく通称(正確には女房名と言います)で、現代でいうところのあだ名のようなものです。
本名はハッキリわかっていません。一説には『清原諾子(きよはら の なぎこ)』と言われていますが確証はありません。
清少納言の『清』は、この『清原』から来ています。『少納言』は、彼女の親戚筋で少納言という役職に就いていた人から取られたと思われます。しかし、わかっている限りでは、清少納言の親戚に少納言だった人物がいないため、明確な由来はわかっていません。
清少納言の名前に関しては、コチラの記事で詳しく書いてみましたので、興味ある方はご覧になってみてください。
枕草子が書かれた時代はいつ頃?
清少納言が枕草子を書いたのは、平安時代の真ん中あたりです。西暦で言うと、ちょうど1000年前後になります。正確な執筆時期はハッキリしていないのですが、枕草子の内容から察するに、西暦995年頃に書き始め、1001年頃には完成していたのではないかと思われます。
なお、同時期に書かれた作品として有名なのが紫式部の『源氏物語』です。(厳密には、源氏物語の方が少し後に書かれています)
枕草子を書いた理由は?
清少納言が枕草子を書いた動機は、当時とても貴重だった紙を手に入れたからだと言われています。
清少納言は宮廷で働いており、天皇の后である『定子(ていし)』という女性にお仕えしていました。その定子から紙を貰い受け、その紙に日々感じたことなど綴っていくことになります。
この時に清少納言と定子にちょっとしたやりとりがあり、清少納言が執筆することになった経緯だけでなく、『枕草子』という名前になった理由なども判明します。
↓その辺りの経緯は、コチラで詳しく解説しています。↓
枕草子を書いた場所は?
清少納言が枕草子を書いていた場所は、大きく分けて2つあります。
一つは、清少納言の勤め先であった宮廷。清少納言はいわゆる宮仕えをしていたのですが、基本的には泊まり込みで働いています。「泊まり込みで働く」と言うとちょっと過酷な感じがしてしまうのですが、普通に宮廷内で暮らしているようなイメージです。
なので、宮廷内は生活の場でもあるので、そこで書いていたのは間違いないでしょう。
そして、もう一つは清少納言の実家です。コチラは枕草子にハッキリと書いてあります。
清少納言は、とある事件がキッカケで、宮仕えを休んで実家に帰っていた時期があります。この時に『暇だったから書き始めた』というようなことが、枕草子の後書きで記されているのです。
ちなみにですが、この時の『とある事件』には、清少納言が枕草子に秘めた本当の執筆理由が隠されています。そこには清少納言が直面した現実への悲しい想いが秘められています。
枕草子の基本情報まとめ
以上、枕草子の基礎知識でした。
簡単にまとめますと・・・
- 枕草子を書いた人→→→清少納言
- 枕草子が書かれた時代→→→平安時代の中頃、西暦1000年くらい
- 枕草子を書いた理由→→→主の定子より、当時貴重だった紙を賜ったから
- 枕草子を書いていた場所→→→清少納言の実家、宮廷内
ということになります。
今回は基礎情報なのでかなり簡潔にまとめています。他の枕草子関連の記事は以下のまとめましたので、もっと深掘りしたい方はご覧になってみてください。
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