福岡県、大分県、佐賀県、長崎県、熊本県、宮崎県、鹿児島県。
これら七つの県で構成されている九州地方。
しかしここで、ひとつの疑問が湧きます。
七つなのに何故『九』州なのか?
今回はそんな九州の起源に迫ってみたいと思います。
知っておくと、ちょっと優越感に浸れり雑学です。
九州の起源
古代の九州
現在の九州に属している七つの県は、明治維新時の廃藩置県によって制定されています。
つまり150年くらい前に制定されているので、日本の長い歴史からすれば、つい最近の出来事です。
では、廃藩置県以前の九州は、どのような区画で分けられていたのでしょうか?それは以下の通りです。
- 筑紫国(つくしのくに)
- 豊国(とよのくに)
- 肥国(ひのくに)
- 熊襲国(くまそのくに)
古墳時代や飛鳥時代(3世紀~7世紀くらい)の九州は上記の4つの区画に分けられていました。
現在でも福岡県北部を『筑豊(ちくほう)』と言ったり、熊本県を『火の国(肥の国)』と言ったりする語源はここにあります。
西海道の成立
701年の大宝律令(たいほうりつりょう)によって、日本は初めて中央集権的な国として成立します。
この大宝律令によって、日本の行政区画は『道』によって区分されることとなります。
現在の東北地方から関東中央部、そして中部地方あたりを『東山道』。
新潟県あたりから福井県あたりの日本海側を『北陸道』。
南関東から愛知県あたりまでの太平洋側を『東海道』。
鳥取県、島根県あたりの中国地方北側を『山陰道』。
岡山県、広島県あたりの中国地方南部を『山陽道』。
四国全体を『南海道』。
九州全土を『西海道』。
そして、京都、奈良、大阪あたりの関西地方を『畿内』。
そして『西海道』と名付けられた九州は七つの国に区分されます。
筑前国(ちくぜんのくに)
筑後国(ちくごのくに)
豊前国(ぶぜんのくに)
豊後国(ぶんごのくに)
肥前国(ひぜんのくに)
肥後国(ひごのくに)
日向国(ひゅうがのくに)
後に、大隅国(おおすみのくに)と薩摩国(さつまのくに)が追加され西海道は九つの国が属することになりました。
これら計9つの国を総称して『九州』と呼ぶののが一般的です。
大陸の政治習慣が語源?
以上のような経緯で、大宝律令から明治維新まで、西海道は九つの国で成り立っていました。
なので『九州』とは昔の国名が語源とされてはいるのですが、この他にも『九州の語源は古代中国の習慣が起源』という説もあったりします。
昔の中国は、支配する土地を九つに区分して統治する習慣があったそうです。つまり『九州』とは古代中国の支配体制に習ったものであるという説も存在しているのです。
古代史の中の九州
九州と言う土地は日本の歴史、特に古代史では何かと重要な位置を占めています。
有名なところでは、邪馬台国論争。
卑弥呼の邪馬台国は北九州にあったのか、奈良県にあったのか?そんな議論が今なお決着せず、古代史ファンを楽しませています。(個人的には北九州の一地方政権だと思ってます)
他にも、高千穂への天孫降臨、神武東征伝説の出発地点、ヤマトタケルの熊襲征討など日本神話に語られる九州は、非常に重要な位置づけとなっています。
九州は、古代ロマンを追いかける歴史ファンの心を掴んで離さない魅力ある地域として、今なお古代の神秘を提供し続けているのです。
他の地名の由来はコチラの記事をご覧ください。