ご来訪ありがとうございます。
拓麻呂です。
現存している国の中では世界最古の歴史を持つ日本。
長い歴史の中には、たくさんの英雄たちの活躍あり現代に繋がっています。
そこで、日本史に登場する人物で、良くも悪くも大きな活躍をした人物、あるいは知っておいて方が良い人物100人を、独断と偏見で選んでみました。
期間としては、日本書紀や古事記が伝える日本の建国から、明治維新までとしています。(幕末の人物が多すぎるので、伊藤博文あたりの世代(1840年以降の生まれ)は明治の人物として扱っており、今回は選出していません)
また、惜しくも選ばれなかったけど候補に挙げてあった人物を、記事下に列挙していますので、そちらも併せてご覧になってみてください。
日本の偉人100人
神話~古墳時代
1.神武天皇(じんむてんのう)
天照大御神の曾孫で初代天皇。
現在の宮崎県の辺りから出発し海路を進み、和歌山県辺りに上陸。
敵対勢力に苦戦しながらも、奈良県の橿原で、日本で初の天皇として即位したと伝わる(神武東征)。
神武天皇の即位によって、日本は建国された。
2.大和武尊(やまとたける)
武勇に長けた古代日本の英雄。
三種の神器のひとつである草薙の剣を手に、各地の逆賊たちを討伐した。
しかし、その戦闘力を恐れた父から遠ざけられたため、流浪の旅は終わることなく、最期は滋賀県と岐阜県に跨る伊吹山でその生涯を終えた。
伝説的な悲劇の英雄である。
3.仁徳天皇(にんとくてんのう)
『民のかまど』の逸話で知られる、善政を敷いた第16代天皇。
仁徳天皇の墓所と伝わる『大仙陵古墳』は、世界最大の墳墓である。
飛鳥時代
4.物部守屋(もののべ の もりや)
神道を重んじ、仏教を推進させる蘇我氏と対立した人物。
5.蘇我馬子(そが の うまこ)
聖徳太子や推古天皇とともに、古代日本の礎を築く。
4代の天皇に仕え、蘇我氏の権力を盤石なものとした。
奈良県明日香村にある『石舞台古墳』は、馬子の墓ではないかと言われている。
6.聖徳太子(しょうとくたいし)
冠位十二階、憲法十七条、遣隋使など、古代日本礎を築いた偉人。
隋の煬帝に宛てた『日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや』の一文は、日本が隋と対等な国であることを主張した、あまりにも有名な言葉。
聖徳太子の偉業や伝説全てひっくるめて、後の日本国と日本人に多大なる影響を与えている。
7.中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
乙子の変を起こし蘇我氏を討伐、大化の改新を主導した人物。
後の第38代天智天皇。
半島の百済再興のため、大量の兵を渡海させたものの、大敗北を喫した(白村江の戦い)。
8.中臣鎌足(なかとみ の かまたり)
中大兄皇子と並ぶ乙子の変の首謀者。
蹴鞠をしていた中大兄の履物が、鎌足の目の前に飛んでいたのが二人の出会いと言われている。
中大兄から『藤原』の姓を賜り、後に栄華を極める藤原氏の初代となる。
9.蘇我入鹿(そが の いるか)
天皇を凌駕する権勢を誇った人物。
乙子の変で中大兄皇子らに討たれる。
日本書紀では悪者になっているが、実際は他国の文化を受け入れようとした先進的な人物であったとされている。
10.天武天皇(てんむてんのう)
大海人皇子。後の第40代天皇。
壬申の乱で大友皇子に勝利し天皇位に就く。
初めて天皇号を使用し、日本という国名を定め、古事記・日本書紀の編纂事業も推進した、まさに日本の歴史を代表する天皇。
11.持統天皇(じとうてんのう)
女帝。天武天皇の妻。
第41代天皇。
天武帝の後継として権勢をふるった。
初めて火葬された天皇でもある。
奈良時代
12.太安万侶(おお の やすまろ)
古事記を編纂した人物。
現在のひらがなに繋がる万葉仮名の原型を発明し、古事記を記す。
かつては不在説もあったが、茶畑の地中から安万侶の墓が見つかったため、現在は実在の人物とされている。
13.稗田阿礼(ひえだ の あれ)
全国各地の神話伝承を暗記し、太安万侶に伝えた人物。
驚異的な暗記力の持ち主と伝わる。
彼の暗記力があったからこそ古事記の編纂が可能だったと言える。
女性だったという説もあるが定かではない。
14.藤原不比等(ふじわら の ふひと)
中臣鎌足の息子。
後の日本の歴史を彩る藤原氏の権勢は不比等から始まった、と言っても過言ではない。
15.聖武天皇(しょうむてんのう)
第45代天皇。
東大寺盧舎那仏像、いわゆる『奈良の大仏』を建立した天皇。
16.阿倍仲麻呂(あべ の なかまろ)
遣唐留学生。
その才を認められ、日本人でありながら唐での重職に就く。
生涯日本に戻ることなく唐で亡くなった。
17.弓削道鏡(ゆげ の どうきょう)
孝謙女帝に愛された僧。
権勢を振るったとされ、自らの野望を阻止しようとした和気清麻呂を左遷したりしている。
民間人でありながら皇位に就こうとした不届き者とされているが真相は不明(道鏡事件)。
18.和気清麻呂(わけ の きよまろ)
いわゆる道鏡事件を防いだ英雄。
彼がいたことで道鏡の野望は潰えた。
かつてはお札にもなっていた人物。
平安時代
19.空海(くうかい)
弘法大師。真言宗の開祖。
日本仏教界における最高の僧。彼は今も高野山の奥地で多くの信仰を集めている。
20.最澄(さいちょう)
顕教大師。天台宗の開祖。
空海と双璧を成す大僧侶。
21.坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)
征夷大将軍。
東北地方平定のために戦った人物。
清水寺を建立した人でもある。
22.阿弖流為(あてるい)
坂上田村麻呂と戦った猛将。
最期は半ば騙されたような形で処刑された悲劇の人物。
アイヌであったという説がある。
23.醍醐天皇(だいごてんのう)
第60代天皇。
藤原氏を排除し『延喜の治』と呼ばれる善政を敷いた天皇。
古今和歌集の編纂を命じた天皇でもある。
24.紀貫之(き の つらゆき)
古今和歌集の編纂に大きく貢献した歌人。
後の女流文学に大きな影響を与えた『土佐日記』の作者でもある。
25.菅原道真(すがわら の みちざね)
天皇の忠臣として活躍するが、藤原時平の讒言により、九州の太宰府に左遷。
同地で恨みを残して亡くなったため、日本史上最大級の怨霊となる。
現在は、学問の神様として太宰府天満宮に祀られ、多くの日本人に信仰されている。
26.平将門(たいら の まさかど)
平安時代中期の関東の豪族。
『新皇』を名乗り関東を蹂躙するも、朝廷から派遣された討伐隊により鎮圧された。
その首塚は、現在の東京都のど真ん中にひっそりと佇んでいる。
27.安倍晴明(あべ の せいめい)
日本の歴史上、最も有名な陰陽師。
呪術を仕えた、母親がキツネだったなど、多くの伝説を持つ人物。
28.藤原道長(ふじわら の みちなが)
摂関政治で有名な、平安時代中期に絶大な権力を誇った貴族。
『この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』の和歌でも有名。
糖尿病だったという説がある。
紫式部が愛人だったとも言われている。
29.藤原彰子(ふじわら の しょうし)
道長の娘で、一条天皇の中宮。
彰子の元には、紫式部や和泉式部、赤染衛門などの才女が集い、国風文化の発展に大きな影響を与えた。
30.藤原隆家(ふじわら の たかいえ)
藤原道長の甥。
九州に滞在中、大陸から侵攻してきた女真族を撃破し、日本を守る。
いわゆる『刀伊の入寇』で大活躍した英雄である。
31.清少納言(せい しょうなごん)
日本三大随筆で、世界最古の随筆『枕草子』の作者。
枕草子は、女流文学の隆盛と、国風文化の発展に大きな影響を与えた。
32.紫式部(むらさき しきぶ)
今なお、多くの人々に愛され続ける大ベストセラー小説『源氏物語』の作者。
現在、源氏物語は、世界各国の言語に翻訳され、日本を飛び出し世界中の人に親しまれている。
おそらく、日本人女性で世界的に最も有名な女性。
33.藤原清衡(ふじわら の きよひら)
東北の地に巨大王国を築いた奥州藤原氏の初代当主。
マルコ・ポーロの東方見聞録に記された『黄金の国ジパング』は、奥州藤原氏ゆかりの中尊寺金色堂について述べたものという説もある。
奥州藤原氏に縁の深い『平泉』は、現在世界遺産となっている。
34.白河法皇(しらかわほうおう)
第72代天皇。
院政によって絶大な権力を有した天皇(上皇)。
絶大な権力を有し『賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの』という言葉を残したことでも有名。(賀茂河の水、双六の賽、山法師以外に自らの思い通りにならないものは無いと言う意味)
35.平清盛(たいら の きよもり)
武士で初めて太政大臣になった人物。
保元の乱や平治の乱に勝利し、『平家にあらずんば人にあらず』と言われるほどの、強大な政権を築く。
清盛の台頭は、後に源氏が実現する武家政権の萌芽である。
白河法皇のご落胤との説もある。
鎌倉時代
36.源頼朝(みなもと の よりとも)
征夷大将軍となり、鎌倉幕府を開いた人物。
これより日本は、約700年続く武士の世に突入していく。
37.源義経(みなもと の よしつね)
源頼朝の弟。
一ノ谷の戦いや壇ノ浦の戦いで大活躍し、平家打倒に大きく貢献。
鵯越の逆落とし、八艘飛びなどの伝説めいた逸話でも知られる。
後年、兄の頼朝と不和になり、奥州まで逃走したが追い詰められ自害した。
38.北条政子(ほうじょう まさこ)
源頼朝の妻。
頼朝やその後継者が亡くなった後は幕府の実権を握り、『尼将軍』と称された女傑でもある。
承久の乱に先立ち、御家人たちを結束させた大演説は、あまりにも有名である。
39.藤原定家(ふじわら の ていか)
鎌倉時代前期の公家。
定家は『ていか』と読まれることが多い。
いわゆる『小倉百人一首』を作った人。
40.鴨長明(かも の ちょうめい)
日本三大随筆『方丈記』を著した人物。
41.北条泰時(ほうじょう やすとき)
鎌倉幕府第3代執権。
後の時代まで武家の基本法として踏襲される『御成敗式目』を制定した。
42.後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)
第82代天皇。
新古今和歌集の編纂をした天皇。
鎌倉幕府に対し兵を挙げ『承久の乱』を起こすも、敗北し隠岐に流された。
43.法然(ほうねん)
鎌倉新仏教のひとつ『浄土宗』の開祖。
浄土真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮、曹洞宗の道元、臨済宗の栄西、時宗の一遍と並び、仏教界の革命児と称される。
44.吉田兼好(よしだ けんこう)
兼好法師の名でも知られる人物。
京都郊外の庵に移り住み、日本三大随筆のひとつ『徒然草』を著す。
45.北条時宗(ほうじょう ときむね)
鎌倉幕府第8代執権。
ユーラシア大陸に強大な帝国を築いたモンゴル帝国(元)が、日本に侵攻してきた元寇(蒙古襲来)を2度に渡って退ける。(文永の役、弘安の役)
日本史上最大の国難とも言える元寇を跳ね除け、日本の独立を守り抜いた大英雄である。
南北朝時代
46.足利尊氏(あしかが たかうじ)
室町幕府初代将軍。
鎌倉幕府の六波羅探題を撃破し鎌倉幕府打倒に大きく貢献、後醍醐天皇による建武の新政を実現させる。
後に反目した後醍醐天皇との争いに勝利し、観応の擾乱で弟の直義にも勝利し、体制を盤石なものとした。
躁鬱病だったという説がある。
47.新田義貞(にった よしさだ)
足利尊氏とともに鎌倉幕府を倒した人物であると同時に、尊氏のライバル。
鎌倉へと進撃し、幕府打倒を果たす。
鎌倉攻めの時、潮が満ちていて進軍が困難だったため、義貞が海に刀を投げたら潮が引いて、一気に鎌倉に攻め込んだという伝説があります。
48.楠木正成(くすのき まさしげ)
最期まで後醍醐天皇に付き従った忠臣。
日本史上指折りの軍事の天才とされ、ゲリラ戦法を駆使しながら数々の戦いで戦功をあげる。
特に千早城の戦いは有名。
最期は、勝てる見込みの無い決戦(湊川の戦)に参戦し、壮絶な自害を遂げた。
49.佐々木導誉(ささき どうよ)
足利尊氏の盟友で、南北朝時代を象徴する『ばさら大名』の代表格。
横柄な態度で世間に疎まれていた妙法院を焼き払った逸話は有名。
荒くれ者の代表のように思われがちだが、和歌や茶道にも嗜みのある文化人である。
50.後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
第96代天皇。
足利尊氏や新田義貞らとともに鎌倉幕府を打倒し、建武の新政と呼ばれる天皇親政を開始。
しかし、武士の共感を得られず、わずか3年あまりで建武の新政は崩壊。
吉野山に逃れ南朝の初代天皇となり、約50~60年にも及ぶ北朝との争いが続くことになる。
室町時代
51.足利義満(あしかが よしみつ)
室町幕府3代将軍。
京都の人気観光地 金閣寺は、義満の山荘であり権威の象徴。
長年途絶えていた大陸との朝貢を再開させ、日本国王を名乗ることを許される。
大陸に頭を下げ(朝貢)、天皇家を凌駕しようとしていた売国奴と言われることもある。
52.足利義教(あしかが よしのり)
室町幕府6代将軍。
5代将軍が早世したため、急遽くじ引きで選ばれた将軍としても有名。
万人恐怖と言われる恐怖政治を行い、家臣の赤松満佑に討たれた(嘉吉の変)。
後の織田信長の政治は、義教を模したものだという見解もある。
53.世阿弥(ぜあみ)
父の観阿弥とともに猿楽を確立させた人物。この猿楽が、現在の『能』である。
世阿弥が確立した能は、観世流として現代まで受け継がれている。
54.一休宗純(いっきゅう そうじゅん)
いわゆる『頓智の一休さん』のモデルになった僧侶。
実際は、型にはまらない僧侶という意味の『破戒僧』であり、アニメのような可愛らしさはない。
55.足利義政(あしかが よしまさ)
室町幕府8代将軍。
6代将軍の義教、7代将軍の義勝が急逝したため、僧門に入っていた義政が急遽将軍となる。
優柔不断な性格が災いし、約11年に及ぶ応仁の乱を引き起こし、なにも解決できなかった日本史上最低のダメ将軍と称される。
一方で、銀閣寺を建立し『わび・さび』の文化(東山文化)を確立した人物でもある。
56.日野富子(ひの とみこ)
足利義政の妻。
義政と富子には子が無かったため、義政の弟が将軍の後継者に指名されていたが、後に富子に子が出来たため後継者争いが勃発。
富子が自らが生んだ子を次期将軍に付けようと画策したことが、応仁の乱の原因のひとつである。
一般的には悪女とされている。
57.細川勝元(ほそかわ かつもと)
応仁の乱における東軍の総大将。
開戦当初は、日野富子、足利義尚に味方していた。
勝元の没後も乱は続いた。
58.山名宗全(やまな そうぜん)
応仁の乱における西軍の総大将。
開戦当初は、足利義視に味方していた。
宗全の没後も乱は続いた。
戦国時代
59.細川政元(ほそかわ まさもと)
細川勝元の息子。
室町幕府10代将軍 足利義稙を廃し、将軍を義澄にすげ変えた擁廃立事件、いわゆる『明応の政変』の首謀者。
近年この明応の政変が、戦国時代の始まりとされている。
空を飛ぼうとしたり、天狗の術を会得しようとした奇人としても知られている。
60.北条早雲(ほうじょう そううん)
本名は『伊勢盛時』とされる。
戦国時代、関東に一大勢力を築いた後北条氏の祖。
長尾景春と並び、戦国時代を切り開いた先駆者。
領地に善政を敷いたことでも知られ、早雲の意思は後の北条家当主に代々受け継がれていくことになる。
61.毛利元就(もうり もとなり)
中国地方の戦国大名。
数々の謀略でライバルを蹴散らしていき、中国地方全域と四国と九州の一部を支配する大大名となる。
戦国時代に一代で広げた領地の大きさは、元就がNO.1。
元就の躍進がなければ、幕末の長州藩の活躍は無かったと言っていい。
三本の矢の逸話でも有名だが、これは後世の創作である。
62.三好長慶(みよし ながよし)
室町幕府13代将軍 足利義輝を京都から追放し、戦国時代で最も早く畿内に覇を唱えた大名。
当時の感覚では『天下』とは京都周辺の地域(畿内)を意味していたので、初めて天下統一をしたのは信長でも秀吉でも家康でもなく、三好長慶である。
安土桃山時代
63.織田信長(おだ のぶなが)
日本人なら誰でも知っている戦国大名。
『天下布武』を掲げライバルたちを次々と打倒。
天下統一が目前に迫ったところで、明智光秀の謀反を起こされ本能寺に散った。
新しい物好きで古い権力の破壊者という印象もあるが、事実であるかは疑問。
64.明智光秀(あけち みつひで)
織田信長の家臣。
本能寺の変を起こした人物として有名。
本能寺の変の動機は今も定説がなく、日本史上最大のミステリーとされている。
65.豊臣秀吉(とよとみ の ひでよし)
日本史上で最も出世した人物で、人たらしとしても著名。
城攻めの名人でもある。
出自は諸説あるが、かなり低い身分からスタートし、天下人にまで登りつめた出世頭。
晩年は、千利休やを自害させたり、甥の秀次を一族もろとも粛清したり、大陸に侵攻したりと、蒸気を逸した行動が目立つ。
一般的には『とよとみ ひでよし』と呼ばれるが、正確には『とよとみ の ひでよし』である。
66.村上武吉(むらかみ たけよし)
瀬戸内海を支配していた村上水軍の頭領。
海の大名とも呼ばれる。
瀬戸内海は流通の要であり、この海を制することが経済的にも非常に重要だった。
瀬戸内海の激しい潮流で鍛えられて操舵術は、日本の水軍の中でも随一であったと言われる。
その操舵術と、焙烙(ほうろく)と言われる手投げ式の炸裂弾を駆使し、織田信長の水軍を完膚なきまでに叩きのめしている。
武吉が記した海戦の兵法書『村上舟戦要法』は、明治期の海軍 秋山真之が参考にし、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破、日露戦争を勝利へと導いた。
67.千利休(せん の りきゅう)
日本を代表する茶人。
いわゆる『わび茶』を大成させた人物で『茶聖』とも称される。
文化人として大きな足跡を残した半面、影響力を持ちすぎたことが災いしてか、晩年は豊臣秀吉に疎まれ、最期は自害させられた。
身長は180センチを超えていたと言われている。
68.出雲阿国(いずも の おくに)
もともとは出雲大社の巫女であったと伝わる女性。
歌舞伎の創始者。
彼女の踊っていた『かぶき踊り』が変化して、現在の歌舞伎になったとされている。
彼女のかぶき踊りは、大人気を博した。
日本で初の踊れる女性アイドルである。
江戸時代
69.徳川家康(とくがわ いえやす)
江戸幕府の初代将軍。
関ヶ原の戦いで勝利し江戸幕府を開き、その後大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼし、体制を盤石なものにした。
戦乱の世を終わらせ、約260年続く太平の世へと導いた人物である。
70.淀(よど)
戦国時代のNo.1美女 お市の娘で、豊臣秀吉の側室。
秀吉の後継者 秀頼を産む。
大阪夏の陣では家康と敵対するも敗北。
愛息子の秀頼とともに燃え盛る大坂城内で自害した。
71.尚寧王(しょうねいおう)
琉球国(現在の沖縄)の国王。
この当時の琉球は、明に属した国家であったが、薩摩の島津氏の侵攻を受け、日本と明に両属することになる。
72.天草四郎(あまくさ しろう)
キリシタンの少年。
カトリック信者への迫害、飢饉に端を発する重い年貢などに反発したキリシタンたちに担がれ、一揆軍の最高指導者となる(島原の乱)。
四郎は一揆軍からカリスマ的な支持を得て、2万~3万の兵力で幕府軍と対峙するも、乱は鎮圧され四郎も討ち取られた。
一揆軍の士気高揚のための象徴に祀り上げられた感もあり、悲劇の少年と言えなくもない。
73.徳川家光(とくがわ いえみつ)
江戸幕府3代将軍。
いわゆる鎖国政策や参勤交代など、江戸時代の代表的な制度は、ほぼ家光の治世で定まったことである。
そういった意味では、江戸時代の形を作り上げた将軍と言える。
74.春日局(かすが の つぼね)
本名は『斎藤福』。明智光秀の家臣であった斎藤利三の娘。
3代将軍 家光の乳母としても有名。
大奥を取り仕切り、制度も確立させるなど、大奥の基礎を作り上げた女性である。
75.松尾芭蕉(まつお ばしょう)
日本史を代表する俳人。
『古池や蛙飛びこむ水の音』、『夏草や兵どもが夢の跡』、『閑さや岩にしみ入る蝉の声』『松島やああ松島や松島や』、『五月雨をあつめて早し最上川』など、現代人も一度は聞いたことがある句を多く残している。
『おくのほそ道』を著したことでも有名。
76.新井白石(あらい はくせき)
幕府に仕えていた学者。
正徳の治と呼ばれる政治改革を行い、一時代を築いた。
朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学などたくさんの学問に精通し、漢詩への嗜みもあったというまさに学者らしい人物。
77.徳川吉宗(とくがわ よしむね)
江戸幕府8代将軍。
いわゆる『暴れん坊将軍』。
『享保の改革』と呼ばれる政治改革を行ったことでも知られている。
江戸幕府の歴代将軍の中でも、屈指の為政者である。
78.田沼意次(たぬま おきつぐ)
数々の幕政改革を試みた幕府老中。
意次が活躍した時期は『田沼時代』とも称されるほど、その存在感は大きいものだった。
一方で、賄賂を受け取ったりなど贈賄のイメージが強く、政治腐敗の元凶のような扱いをされる人物でもあり、評価が分かれる。
『越後屋、お主も悪よのう』という悪代官のイメージは、おそらくここから来ている。
79.杉田玄白(すぎた げんぱく)
江戸時代の医者。
西洋の医学書を、凄まじい執念で日本語に翻訳した『解体新書』を著したことでも有名。
日本医学の発展に大きく貢献した、名医師である。
80.本居宣長(もとおり のりなが)
江戸時代の国学者。
古事記や源氏物語の研究で知られており、『古事記伝』や『源氏物語玉の小櫛』などを著す。
宣長の研究成果があったからこそ、現代人が両書に親しめると言っても過言ではない。
宣長が説いた古事記や源氏物語の解釈は、今でも通用するものである。
81.塙保己一(はなわ ほきいち)
江戸時代の国学者。
幼少期に視力を失うも、持ち前の暗記力で群書類従を著す。
群書類従は、全国に散った歴史史料を集めたもので、現代の歴史研究でも大いに役立っている。
群書類従の編纂に使った版木のサイズが、現在の400字詰め原稿用紙の元になっている。
82.葛飾北斎(かつしか ほくさい)
日本を代表する浮世絵師。
北斎の代表作『富嶽三十六景』は、日本人なら一度は目にしたことがあるはず。
日本の浮世絵は世界でも評価されており、日本人がもっと注目してほしい文化のひとつ。
アメリカの雑誌が主催した『この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人』なるランキングで、日本人として唯一86位に入っているらしい。
83.雷電爲右エ門(らいでん ためえもん)
日本の相撲史上、最強の横綱。
通算成績は254勝10敗2分
現役生活21年で、10回しか負けたことがなく、勝率が95%を超えている最強力士である。
大鵬、双葉山、千代の富士、貴乃花、白鵬らの偉業も霞むほどの大横綱であった。
84.高尾太夫(たかおだゆう)
吉原遊女たちの中でも、特に美しく人気を博したトップスター。
花魁の中でも、その名に相応しい女性が現れた時に使用された源氏名で、数代に渡り世襲されたと見られている。
85.高田屋嘉兵衛(たかだや かへえ)
江戸時代後期の船乗り。
海商となり、現在の北海道方面で廻船商人として活躍。
国後島~択捉島間の航路を開拓し、海運業の発展に寄与した。
現在の函館市発展の基盤は、嘉兵衛の尽力によるところが大きい。
後に、ロシアに拿捕されるが、無事に帰還している(ゴローニン事件)。
幕末
86.井伊直弼(いい なおすけ)
江戸幕府の大老。
日本を開国させるため、独断で日米修好通商条約に調印したため、多くの反感を買う。
また、自身の政策に反発する者たちを弾圧した『安政の大獄』で、さらに反感を買う。
結果、雪の降る桜田門外で襲撃され、その生涯を閉じた(桜田門外の変)。
87.徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)
江戸幕府15代将軍にして、最後の将軍。
大政奉還によって政治的な権力を天皇に返還。
明治維新が成った後、処刑は免れ静かな余生を過ごした。
88.勝海舟(かつ かいしゅう)
幕臣。
江戸に進軍してきた西郷隆盛との会談に臨み、街中が戦場になるのを避け、民衆の血が流れることなく争いは終結。(江戸城無血開城)
晩年の口述を記した氷川清話では、西郷隆盛や木戸孝允など同時代の人物評に触れており、非常に興味深く読むことができる。
野良犬に襲われ股間を噛まれた経験があるため、生涯犬が苦手だったと言われている。
89.近藤勇(こんどう いさみ)
新選組局長。
尊王攘夷を叫ぶ藩士たちの談合を襲撃した『池田屋事件』では、果敢な判断で池田屋に突入し壮絶な斬り合いを展開した。
この事件により、宮部鼎蔵や吉田稔麿らが命を落としている。
農民の出身であったからこそ、武士よりも武士らしく振舞っていたと伝わる。
90.岩倉具視(いわくら ともみ)
もともとは下級の公家ながら、幕末に大きな権限を振るった人物。
『自分と大久保がやったことはあの世に行くまで腹におさめておかねばならない』と語ったほど、謀略の限りを尽くし、倒幕を実現した。
明治新政府樹立後は、大久保利通や木戸孝允らと訪欧使節団を組織し、約2年に渡る外国視察に出かける(岩倉使節団)。
91.吉田松陰(よしだ しょういん)
幕末の長州藩が生んだ思想家。
攘夷を掲げ松下村塾を主宰し、高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文など多くの長州藩士を輩出した。
その過激な思想が幕府に睨まれ、安政の大獄で斬首された。
黒船に密航しようとしたこともある行動派である。
92.高杉晋作(たかすぎ しんさく)
幕末の長州藩が生んだあばれ牛。
吉田松陰の松下村塾に学び、幕末日本を駆け抜けた。
奇兵隊の結成、下関戦争の講話の席で日本神話を暗唱、暴走する長州藩士を諫めるために飛び出したら脱藩と間違われて逮捕、圧倒的に不利な幕府軍との戦いに勝利(高山寺挙兵)など、フィクションのようなノンフィクションの数々を経験した人物である。
93.緒方洪庵(おがた こうあん)
適塾を主宰し、多くの偉人を輩出した先生。
福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内、大鳥圭介らは、適塾が世に送り出した人物である。
天然痘治療に貢献した日本の近代医学の祖でもある。
94.福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)
ご存じ、1万円の人。
慶應義塾大学の創始者。
学問のすゝめの執筆者。
諭吉先生の唱えた『脱亜論』は、今の時代にこそ通用する理論であり、今後の日本にとって大きな指針になる。
95.大村益次郎(おおむら ますじろう)
長州藩の医者の子。靖国神社の待ち合わせ場所の人。
戊辰戦争においては、現在の東京上野を舞台に幕府の彰義隊と激突。
わずか一日で彰義隊を撃破し、明治新政府軍の勝利を決定づけた。
この戦いによる功績で明治新政府の幹部に就任し、兵士の育成に力を入れる。
このことから、日本陸軍の創始者とも言われている。
96.島津斉彬(しまづ なりあきら)
薩摩藩の第11代藩主。
早くから西洋の技術に着目し、富国強兵に務める。
西郷隆盛や大久保利通を見出した名君としても有名である。
97.西郷隆盛(さいごう たかもり)
東京上野の銅像の人。
ほとんどの日本人が名前を知っている超有名人。
明治維新は西郷さん無くしては語れない。
鹿児島県では、今なお親しみを込めて『西郷さん』と呼ばれている。
98.大久保利通(おおくぼ としみち)
西郷さんの盟友。
倒幕以降の日本、つまり近代日本のことを考え実践していった真の政治家。
大久保無くして、近代日本の形は無いと言っても良いくらい。
幕末の偉人の中で、最も政治家らしい政治家、あるいは政治家の仕事をした人物と言っても過言ではない。
ただし、やり方に難があった。
99.鍋島閑叟(なべしま かんそう)
幕末日本で、最強の軍事力を持っていた佐賀藩の藩主。薩摩、長州、土佐と並び、佐賀藩を雄藩に押し上げた人物。
神経質すぎるほどの潔癖症だったと伝わっている。
100.坂本龍馬(さかもと りょうま)
おそらく、日本の歴史の中で最も有名で人気がある人物。
薩長同盟を締結させた功労者とされている。
剣術の達人でもあった。
近江屋にて刺客に襲撃され、頭をかち割られて亡くなった。
ベスト100候補に挙がった人たち(50音順)
以下、候補にあげてあった人物を50音順に列挙します。
思いつくままに挙げていったので、重要な人物を忘れている可能性も・・・。
黄色くなっている人物は、特に100人の中に入れたかった人物です。
赤松満祐(あかまつ みつすけ)
浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)
足利成氏(あしかが しげうじ)
足利直義(あしかが ただよし)
足利義昭(あしかが よしあき)
足利義視(あしかが よしみ)
阿倍比羅夫(あべ の ひらふ)
阿部正弘(あべ まさひろ)
尼子経久(あまご つねひさ)
在原業平(ありわら の なりひら)
安徳天皇(あんとくてんのう)
石川五右衛門(いしかわ ごえもん)
石田三成(いしだ みつなり)
和泉式部(いずみ しきぶ)
板垣退助(いたがき たいすけ)
一条天皇(いちじょうてんのう)
一遍(いっぺん)
伊藤博文(いとう ひろぶみ)
犬上御田鍬(いぬがみ の みたすき)
井上馨(いのうえ かおる)
今川義元(いまがわ よしもと)
岩崎弥太郎(いわさき やたろう)
上杉謙信(うえすぎ けんしん)
栄西(えいさい)
江藤新平(えとう しんぺい)
榎本武揚(えのもと たけあき)
恵美押勝(えみ の おしかつ)
大隈重信(おおくま しげのぶ)
大塩平八郎(おおしお へいはちろう)
応神天皇(おうじんてんのう)
太田道灌(おおた どうかん)
大友宗麟(おおとも そうりん)
大友皇子(おおとものみこ)
大伴家持(おおとも の やかもち)
岡田以蔵(おかだ いぞう)
沖田総司(おきた そうじ)
荻生徂徠(おぎゅう そらい)
小栗上野介(おぐり こうずけのすけ)
お登勢(おとせ)
小野妹子(おの の いもこ)
小野小町(おの の こまち)
快川紹喜(かいせん じょうき)
柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ)
笠森お仙(かさもり おせん)
和宮(かずのみや)
梶原景時(かじわら かげとき)
狩野永徳(かのう えいとく)
上泉信綱(かみいずみ のぶつな)
賀茂忠行(かも の ただゆき)
賀茂真淵(かも の まぶち)
川路利良(かわじ としよし)
観阿弥(かんあみ)
木曽義仲(きそ よしなか)
喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)
北畠顕家(きたばたけ あきいえ)
北畠親房(きたばたけ ちかふさ)
北村季吟(きたむら きぎん)
木戸孝允(きど たかよし)
吉備真備(きび の まきび)
行基(ぎょうき)
吉良上野介(きら こうずけのすけ)
空也(くうや)
久坂玄瑞(くさか げんずい)
黒田官兵衛(くろだ かんべえ)
継体天皇(けいたいてんのう)
顕如(けんにょ)
孝謙天皇(こうけんてんのう)
高師直(こう の もろなお)
孝明天皇(こうめいてんのう)
後白河天皇(ごしらかわてんのう)
後藤象二郎(ごとう しょうじろう)
小早川秀秋(こばやかわ ひであき)
小松帯刀(こまつ たてわき)
雑賀孫一(さいか まごいち)
西行(さいぎょう)
西郷従道(さいごう つぐみち)
坂田金時(さかた の きんとき)
佐久間象山(さくま しょうざん)
真田幸村(さなだ ゆきむら)
三条実美(さんじょう さねとみ)
慈円(じえん)
静御前(しずかごぜん)
十返舎一九(じっぺんしゃ いっく)
渋沢栄一(しぶさわ えいいち)
島津久光(しまづ ひさみつ)
島津義弘(しまづ よしひろ)
清水次郎長(しみずの じろちょう)
沙牟奢允(しゃくしゃいん)
白石正一郎(しらいし しょういちろう)
ジョン万次郎(じょん まんじろう)
神宮皇后(じんぐうこうごう)
親鸞(しんらん)
推古天皇(すいこてんのう)
周布政之助(すふ まさのすけ)
崇徳上皇(すとくじょうこう)
調所広郷(ずしょ ひろさと)
宗義智(そう よしとし)
蘇我稲目(そが の いなめ)
曽呂利新左衛門(そろり しんざえもん)
大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)
平敦盛(たいら の あつもり)
平時子(たいら の ときこ)
滝沢馬琴(たきざわ ばきん)
武田信玄(たけだ しんげん)
武市半平太(たけち はんぺいた)
武内宿禰(たけのうち の すくね)
橘諸兄(たちばな の もろえ)
伊達政宗(だて まさむね)
近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん)
長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)
塚原卜伝(つかはら ぼくでん)
天璋院(てんしょういん)
道元(どうげん)
東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)
遠山金四郎(とおやま きんしろう)
常盤御前(ときわごぜん)
徳川綱吉(とくがわ つなよし)
徳川斉昭(とくがわ なりあき)
舎人親王(とねりしんのう)
巴御前(ともえごぜん)
伴善男(とも の よしお)
長尾景春(ながお かげはる)
中岡慎太郎(なかおか しんたろう)
長屋王(ながやおう)
那須与一(なす の よいち)
南光坊天海(なんこうぼう てんかい)
日蓮(にちれん)
二宮尊徳(にのみや そんとく)
額田王(ぬかた の おおきみ)
橋本左内(はしもと さない)
長谷川等伯(はせがわ とうはく)
畠山義就(はたけやま よしひろ)
土方歳三(ひじかた としぞう)
平賀源内(ひらが げんない)
藤原兼家(ふじわら の かねいえ)
藤原薬子(ふじわら の くすこ)
藤原実資(ふじわら の さねすけ)
藤原純友(ふじわら の すみとも)
藤原定子(ふじわら の ていし)
藤原行成(ふじわら の ゆきなり)
藤原頼長(ふじわら の よりなが)
藤原頼道(ふじわら の よりみち)
平城天皇(へいぜいてんのう)
北条氏康(ほうじょう うじやす)
北条時政(ほうじょう ときまさ)
宝蔵院胤栄(ほうぞういん いんえい)
細川ガラシャ(ほそかわ がらしゃ)
細川頼之(ほそかわ よりゆき)
前原一誠(まえばら いっせい)
松平容保(まつだいら かたもり)
松平定信(まつだいら さだのぶ)
松平春嶽(まつだいら しゅんがく)
水野忠邦(みずの ただくに)
水戸光圀(みと みつくに)
源実朝(みなもと の さねとも)
源信(みなもと の まこと)
源義家(みなもと の よしいえ)
源頼光(みなもと の よりみつ)
宮本武蔵(みやもと むさし)
武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい)
夢窓疎石(むそう そせき)
陸奥宗光(むつ むねみつ)
村上天皇(むらかみてんのう)
村田新八(むらた しんぱち)
明治天皇(めいじてんのう)
山内容堂(やまうち ようどう)
山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)
山縣有朋(やまがた ありとも)
山背大兄王(やましろのおおえのおう)
山上憶良(やまのうえ の おくら)
由井正雪(ゆい しょうせつ)
雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)
呂宋助左衛門(るそん すけざえもん)
では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。